7.8
みつ、ミツ、mitsu、mitsou、蜜、光、満つ、
いろいろな音色で、わたしは呼ぶ、彼の名を。
ミツの柔らかい肌と透明な眼球は、まだそれを許してくれているようだから。
お前の名前を、この世のすべての事象に、書き込むようにして、
私は呼ぶのだ。
誰からもおまえの名が忘れられてしまった、その後においても
たんぽぽの茎がおじぎをするように、アカアリたちが砂を運ぶように、
ある晴れた一日の当たり前すぎる日課のようにして
おまえの名前が午睡前のため息のように
呼び起こされてくれればいい、と
わたしは思うのだ。
大きな地震のあった日のことを、何かしら記述せねばならないと思い続けて半年近く経った。
未だに手が動かない。
ミツは生きている。
生きることの困難をこれほど過酷に問われながらも、なお生きている。
そして私たちの恐怖と怯えと妥協もまた、これまでに無いほどのヴィヴィッドな手触りでそこにあるのだ。
正しいことは、言えないとおもいます。
私は、ミツが笑ってくれればいい、と、それしか考えられません。
ミツひとりが生き延びればいいと念じるのは、この前提に反しています。
美しいもの、賢いもの、醜くて無様なもの、可愛らしいもの、強いもの、弱々しくて頭が悪くて、格好もつかず卑怯なもの、
声も出ないほど神聖なもの、唾棄すべき狡さ、その場限りの適当さ、誰かの甘え、傲慢さ、時間を経ることで磨かれるもの、過去の否定、未来の盲信、過去の想起、未来へのつつましさ、そして誰もいない荒涼とした冷たい砂漠のこと
こういったもの無しに
わたしはミツが人生を歩めるとは到底思えない
お前が存分に生きるためにいま欠けているのは
こんな形而上のものではなく
例えば今日の呼吸、今日喉を通っていった水、今日お前の手のひらにすり突いた砂粒と埃、
死に際の祖母を思わせるほど必死に食らいつく果実の汁と
お前の身体を全的に肯定するもうひとつの身体ではないのか
*
学校行ってる時に「古事記」やら「遠野物語」やら読まされてたけど、神話的想像力が生み出してきた「ウソでもいいから信じておかなきゃ共同体が崩壊してしまう(んじゃないか)」っていうある種の想像力って、原発以降に奇妙な形でうわっつらに浮上してきているような気がするよ。
ミツは
ねむっている。
こんな季節を越えて。
長い眠りを
ひとり。