good-bye, hi-lite.

恋とニコチン。

2015/11/12

禁煙から107日20時間。

伸びた寿命:22日11時間。

節約できた金額:12397円。

貯まったビタミンC:レモン1078個分。

 

3ヶ月半くらい経ちましたでしょうか。

前回の禁煙は4ヶ月あたりで(ちょっと1本いいかしらー、誕生日だしー。)とかいう腑抜けっぷりで、そこから徐々に3ヶ月くらいかけて喫煙者に戻っていったはず。

今年の1月で前の職場を辞めてから、外でモーニングを食べることが増えた。

500円くらいで食事とコーヒーがついていて、長居ができるからPCや資料を持って行ってそのまま午前中いっぱいくらいは仕事をしたりする。家で朝ごはんを食べてから外出する方が安く済むことはわかってるんだけど、自分でつくって自分で食べるごはんってなんとなくエサだ。

それで、近隣のチェーン店のカフェをいろいろ回ってみて、いま一番ヘビーに食べているのが「PRONTO」の「ハムチーズトーストセット」。

www.pronto.co.jp

 

画像だとヨーグルトだけど、ゆでたまごに変えられる。いつもホットコーヒーとゆでたまごにしている。450円ですばらしい腹持ちの良さ!

家の近くに2軒、職場の近くに1軒あるので、3軒の「PRONTO」を回遊して、毎回おんなじものを頼んでいるんだけど、チェーン店とはいえ結構違うのねー、ということに気づいておもしろかったのでメモしておく。

 

A店:

駅西口。今年の夏頃オープンしたばかり。壁に洋書が飾ってあったりしてオサレ狙い。auのfree-wifiが使えるせいか、朝からビジネスマンが多い。脇道の通りに面している壁面すべてがガラス張りで、店内がとても明るい。いつもそれなりに混んでいる。2階席あり。

モーニングメニュー:

・コーヒーがなんとなく薄いかんじ?

・サラダの盛りは普通。ドレッシング多め。

・ハムチーズトースト(たぶん山崎パンのダブルトースト使ってる)も標準的。一番最初に行ったPRONTOモーニングなので、ここが私の基準になっているのかもしれんが。

・特筆すべきはゆでたまごの茹で具合が絶妙。固茹でなんだけど、黄身の芯のところだけがうっすらと半熟になっている。うまー。

 

B店:

A店から2駅離れた職場と健診先の病院近く。病院の予約時間を早めにしてもらって、通院のたびに行っている。昔ながらの商店街のどまんなかのホテルの1階にある。お世辞にも治安がよろしい場所ではなく、頭に「ヤ」のつく自営業の方とか、お仕事やおうちのなさそうな方とか、夜のお仕事明けのおねえさま方をよくみかける。一応喫煙スペースと禁煙スペースが区分されているが、お昼時以外は無法地帯。禁煙スペースの方がものすごく狭いという今時珍しい仕様。

モーニングメニュー:

・わりとコーヒーをなみなみと注いでくれる。

・サラダの盛りがはんぱねえ。器にぎっちり詰めてあるかんじ。計ってないけどA店の1.5倍くらいの重量がありそう。ドレッシングもみっちり。

・トーストのチーズの量が多い。パンからはみ出そう。

ゆでたまごは特に可もなく不可もなく。

 

C店:

A店と同じ駅の地下にある。席数は少なく、バーカウンターがテーブル席の目の前にあるので、「山崎」とか「響」とか「CAMPARI」の瓶を眺めながら朝ごはんを食べることになる。私は好きだけど。窓がなく、壁面はレンガとタイル張りになっていて、朝から間接照明がついているのでちょっと隠れ家っぽい。長居する人は少なそう。出勤前にさっと寄ってさっと出て行く感じ。あと、ここだけBGMがAORっぽくてかっこいい。

・コーヒーが他のお店よりおいしかった気がする!バーカウンターと間接照明のせいか?まさか。

・サラダの盛りは普通。

・トーストのチーズ量は少なめ。

ゆでたまごは完全ハードボイルド。白身がかっちりするくらいの。

 

ということで、私が一番気に入っているのはB店で、お客さんのだるっだるであやしげな様子を眺めているだけで楽しいし、いっつも禁煙スペースががら空きなのもおもしろい。1ヶ月に1回しか行けないんだけど。

2015.10.6

禁煙から70日23時間。

伸びた寿命:14日18時間。

節約できた金額:8142円。

貯まったビタミンC:レモン710個分。

 

近くに喫煙者がいると(あ、たばこのにおいする)と思うようになってきた。

(けっこうけむたいな)とか。

眉間をしかめて嫌がる、という感じではない。

 

今でも吸いたいと思っている。

吸いたい、というか、ほんの数分、火が燃え尽きるまでのあいだ

なにも考えずに煙の行く先だけ見ていたい、という感じ。

 

2015/09/14

禁煙から48日20時間。

伸びた寿命:10日4時間16分

節約できた金額:5612円。

貯まったビタミンC:レモン489個分。

 

気がついたら禁煙を始めて1ヶ月半ほど経っていた。

同じ期間だけ酒も呑んでいない。

手持ち無沙汰で困る。

周囲には「十二指腸潰瘍で。」と言い訳している。

嘘だろ、酒と煙草のないおまえなんておまえじゃない、とみんなが言う。

否定しない。

嫣然と微笑。

 

多分、ずっと退屈しているのだ、と思う。

ずっとずーっと。

生まれる前から。

何かに夢中になりながら、終わった時のことを考える。

欲しいものは、手に入れた後のことを考えてすでに飽きてしまう。

熱意を持って、精魂込めて、そしてその後は?

退屈と疲労はそっくりだ。

砂漠の小舟 (水星文庫)

砂漠の小舟 (水星文庫)

ずっと欲しかった本を買えてうれしい。
少しずつ読んでいる。
この人の筆致だけが信じられる。
言葉が物質となって−筆のひと刷毛、絵具の厚み、尖筆の刻みこみ−
眼の中に入ってくる。
丹生谷さんの本は、私にとって絵だ。

よく笑って、よく食べて、いたずらしてしかられて、
胸元に手を突っ込むのとスカートやパーカーの中に
潜り込むのとアイスクリームが大好きで、
鬼と獅子舞とおばけと人形がだいきらい。

mitsou。

7.8

みつ、ミツ、mitsu、mitsou、蜜、光、満つ、


いろいろな音色で、わたしは呼ぶ、彼の名を。

ミツの柔らかい肌と透明な眼球は、まだそれを許してくれているようだから。

お前の名前を、この世のすべての事象に、書き込むようにして、

私は呼ぶのだ。

誰からもおまえの名が忘れられてしまった、その後においても

たんぽぽの茎がおじぎをするように、アカアリたちが砂を運ぶように、

ある晴れた一日の当たり前すぎる日課のようにして

おまえの名前が午睡前のため息のように

呼び起こされてくれればいい、と

わたしは思うのだ。



大きな地震のあった日のことを、何かしら記述せねばならないと思い続けて半年近く経った。
未だに手が動かない。
ミツは生きている。
生きることの困難をこれほど過酷に問われながらも、なお生きている。
そして私たちの恐怖と怯えと妥協もまた、これまでに無いほどのヴィヴィッドな手触りでそこにあるのだ。


正しいことは、言えないとおもいます。
私は、ミツが笑ってくれればいい、と、それしか考えられません。
ミツひとりが生き延びればいいと念じるのは、この前提に反しています。


美しいもの、賢いもの、醜くて無様なもの、可愛らしいもの、強いもの、弱々しくて頭が悪くて、格好もつかず卑怯なもの、
声も出ないほど神聖なもの、唾棄すべき狡さ、その場限りの適当さ、誰かの甘え、傲慢さ、時間を経ることで磨かれるもの、過去の否定、未来の盲信、過去の想起、未来へのつつましさ、そして誰もいない荒涼とした冷たい砂漠のこと



こういったもの無しに

わたしはミツが人生を歩めるとは到底思えない


お前が存分に生きるためにいま欠けているのは

こんな形而上のものではなく

例えば今日の呼吸、今日喉を通っていった水、今日お前の手のひらにすり突いた砂粒と埃、

死に際の祖母を思わせるほど必死に食らいつく果実の汁と

お前の身体を全的に肯定するもうひとつの身体ではないのか



学校行ってる時に「古事記」やら「遠野物語」やら読まされてたけど、神話的想像力が生み出してきた「ウソでもいいから信じておかなきゃ共同体が崩壊してしまう(んじゃないか)」っていうある種の想像力って、原発以降に奇妙な形でうわっつらに浮上してきているような気がするよ。


ミツは
ねむっている。
こんな季節を越えて。
長い眠りを
ひとり。

1.8

今朝なんて公園の噴水に張ってる氷をブーツの先でぱりんと割ってみたりしてさ。

涼しい太陽の光線に貫かれていく薄い結晶が、そのあっという間の消滅が悲しかったりね。

ほんとうに、なにやってんだか。

12.23

なんだか小憎らしい顔つきになってきたね。

と夫の人がミツを見て言う。
私もそう思う。
知恵がついてきた、ということなんだろう。

言葉の存在をうっすら理解しはじめてきたみたいだ。
ある音声とある事物がつながりを持っていることに気づく瞬間、というのが
毎日毎日ミツに訪れている。
そういうときは、シナプスがぱちり、と連結する音までこちらに聞こえてきそうな
気がするくらい、はっとした顔をしている。
われわれの発する音声を支えにして、ミツは瞬間ごとに世界を切り取っている。
その手触りはときにざらついていたり切っ先が鋭かったり、必ずしも
心地いいものではない。
世界が形あるもの、名前を持つもの、つまりひとつの概念として立ち上がってくる
という日々の強烈さは、いかばかりのものだろう。
激しい叫び声をあげることが増えた。
「今、ここ、」を分節化することに対する怒りと抵抗のようにも思われるほど、
その叫びは強い。

ごはんのたべかた、ずいぶん落ち着いてきましたよ。

と保育園の先生に言われてほっとする。
実際に過ごす時間はほとんど変わっていないけれど、一緒にいるときは
できる限り身体に触れたり傍にいたり顔を見つめたり、するようにしたんだけど
それが直接的に良かったのかどうかは判らない。

これだけ過剰にべったりしている自分を省みて
もうこれは恋か、と思う。
甘やかしてる、とか言われてもぜんぜん気にならない気にしない。
今は、これが必要なんだろうと思う。

ミツやミツ、こっちにおいで。
そして向こうに行きなさい。