4.9
ちいさな身体を捩るようにして悶えながら何度も目を覚ます。
夜泣き、が始まったみたいだ。
私も合わせて眠れずにいる。頭蓋の内側がじりじりと焼け付くように痛む。不眠の痛み。
「春のせいじゃないか」
「そうなの?」
「うん。春は残酷な季節なんだろう?」
「そういう詩人がいたね」
「季節そのものと身体が無媒介につながってしまうんだ。成長というのははっきりしない痛みのことなんだろう?」
「春もいたんでいるということね」
「たぶんそう」
「春のいたみは永遠に癒えることがないのかしら」
「だから残酷なんだとおもう」
「ミツは?」
「うん。いたい」
ミツはそう言って絞るような声を上げ始めた。春に向けて開かれた裸形の唇に、私は乳房を差し入れた。強引に。
*
- 作者: 東浩紀
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SFだと思って読んだ。
すべての平行世界において基本的な家族の構成要素はまったく変わらないということが地獄だと思ったのだけど。
- 作者: 阿部和重
- 出版社/メーカー: 講談社
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ほら、あんなに汗をかいて。
人間には美しい詩編が必要だ。それはときに残虐で醜く汚辱に塗れているとしても、必要なんだ。
生きるために。ただそれだけのために。
お前にそのようなものを、私は与えられるのかな。どうだい、ミツ?
3.19
あっというまに、って定型の文句だけど、ほんとうに、気がついたら半年が経っていて
ミツはずいぶん大きくなった。
大きくなった小さい手で私の顔や首やセーターの襟口をちからいっぱいつかむ。
生まれた時よりもますます透明になった瞳を世界中に凝らしている。
もっとちいさかった時、あまり身動きが取れなかった頃、そうだな、4ヶ月くらいまでか。
私はいつかこの子を殺めてしまうのではないかと自分が恐ろしかった。
ストーブの上に落としたり大きな金棒で殴りつけたり小さな身体を踏みつぶしたり
いつかそういうことをやってしまうのではないか、平然とした顔でこの生きものを傷つけてそれでも
ぼんやり眺めているんじゃないだろうかと、どこかでずっと感じていた。
この故のない衝動の予測はなんなのだろう。
この暴力性を意識しながらも発動させないための力、それが意志なのか無意識なのか理性なのか判然としないけれど、
その浮遊する危うい認識の力だけが児童虐待と呼ばれるものから遠ざかるための方法だと思うのだけれどどうか。
よく笑うし、よく泣いている。
生命は快と不快のないまぜだ。
いまのうちにたくさんみんなから愛されておきなさい。
いつかひとりになる日のために。
2.27
おとといはあんなにいい天気だったのに昨日の夜からざんざん降りの雨で、どうせ降るなら雪が降ってしまえばいいのに、生きてるものがみんな硬く硬く縮こまって眼だけ爛々光らせて、一面の白が音なんか吸収してしまって凍り付いた空気はそよぎもしない、そんな中で誕生日を迎えたかったのに、
と思う。
買ってもらった桃の花はあっという間に満開になってしまって、そのことももはやおもしろくない。
春が近づくと本当に不愉快になる。
いつまでもいつまでも秋と冬だけでいいような気がする。
多分私は生命というものに腰が引けているのだ。全身で熱を発しながら汗ばんだ手を伸ばしてくるようなものに巻き込まれるのは鬱陶しいと。
私のそんな捩じれた感情なんて置いてきぼりにして、ミツは隣で眠っている。生命の塊が。
お前の弱い自意識なんてどうでもいいとばかりに、熱い寝息をたてている。
- 作者: 角田光代
- 出版社/メーカー: 白水社
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角田光代の本を読もうと図書館に行ったらたまたまこれしかなくて借りてきた。
「やらわかいブラジャー」ってなっていて、誤植なんだろうけど、「やらわかいブラジャー」ってどんなんだろうとぼんやりした。やたらわかいにも読める。
妊娠してもちっとも喜べなかったし、ずっとじりじりしていたというのはそんなに珍しい事ではないみたいだ。「もう既に生きているものを殺してしまいたくない」という感情だけで私は出産したと思う。
2.9
2月に入ったとたん歯が生え始めて、サーモンピンクの柔い歯茎にまっしろな、かたい、とてもちいさな、宝石みたいな歯の欠片が埋まっている。まるで宝探しをしているような気分で、指の腹で何度もそっと触ってみる。
今日で生後5ヶ月になる。離乳食を始めてみる。
10分粥をすり鉢ですって糊状にしたものを、小さなプラスティックのスプーンですくってひとさじ。
唇の上にのせた粥はミツの舌の上にふんわりと溶けていったが、彼にとってはじめての食べ物は単なる異物だったのだろう。
ちっともおいしそうじゃなかった。
そうだね。たべるということは時にとても卑しい行為だ。
食べねば生きていけないなんて、生きものでなければよかったと私は何度思ったことだろう。
10分の粥はミツに与えられた生きものとしての最初の呪いであり、最初の祝福だったんだ。
これもまた「しかたのないこと」なんだと思う。