good-bye, hi-lite.

恋とニコチン。

6.24

何故人間は完全にロジカルに生きられないのか、と。



おそらく完全なロジックというのは一種の虚構だからだ。
人類のみに享受することが許された醒めない夢と言ってもいいかもしれない。


私が映写の練習をしているとき、熟練の映写技師に教えられたのは
傷ついて弱いフィルムほどループを多く取れ、ということだった。
ループというのはつまり「遊び」のことだ。
「遊び」がなくきっちりと巻き込まれたフィルムは、ちょっとした衝撃ですぐにばりんと裂けてしまう。
ループが適度に取られていればコマ送りの歯がパーフォレーションを多少ずれても、なんとか元に戻ってくれる。

そのことを思い出した。



私の尊敬する詩人は、トリスタン・ツァラの書物の題名を挙げて
「愛・賭け・遊び、この三つがあれば自分は生きられる」と言っていた。
本当に美しい言葉だと思う。
これらはすべてロジックから常に逸脱しつづけるものだ。


私はロジカルであるよりシニカルでラディカルなほうが好きだなあ。

6.1

ある朝、私とミツの目の前で、巣立ったばかりのちいさなちいさな小鳥が猫に喰い殺された。


からだのそこここに和毛が残り、まんまるい黒ボタンみたいな眼も横に広がったうすいくちばしも、ようやくヒナから脱したばかりの幼さを見せていた。

まだぜんぜんうまく飛べなかった。よろよろと羽ばたいては道のど真ん中に着地してからだを震わせて。



助けようとした私のてのひらからするりと逃げ出したその先で、小鳥はあっという間に猫の牙に喉元を刺し貫かれた。


私にはその時、小鳥の細くて弱い骨がぼきぼきと砕ける音まで聞こえたような気がする。


私の悲鳴とミツの泣き声が早朝の公園で鈍重なブレーキ音のように底に沈んだ。


私はミツを力一杯抱きしめて、膝の震えも止められないまま公園の階段をがくがく降りた。


「ねえどうしてだろうね。どうしてあんなに簡単に殺されたり死んじゃったりするんだろうね」

「わかんないよ」

「助けてあげられなかったね」

「うん」

「それはいけないことじゃないの? 今日初めてはばたいた小鳥のことは、誰もが救ってあげなきゃいけないんじゃないの?」

「そうだと思う」

「じゃあどうして? 猫はおなかがすいてたの?」

「かもしれない」

「おなかがすいてたらそんな小鳥を食べてもいいの?」

「いいんだ、たぶん」

「ウソ!」

「もういいよ、わかんないよ」

「思考放棄するな!」

「うるさーい!私はミツが猫に喰われなければいいよ!」

「そんなのだめだ!」

「だめかな」

「だめだよ! ミツは小鳥かもしれないよ!ミツは虫だし風だし木の葉だよ! ミツは猫かもしれないし、兎だし熊だし犬だし!」

「世界のすべてってこと?」

「そう!」


私は今日、世界のすべてを守る力が自分にないことに打ちひしがれて、ひどく疲れて、泣きながら眠った。ミツも泣きながら眠る。

5.13

ミツは今日、初めて誰かの悪意に出会った。
それは、もっと丁寧に言えば悪意というほどのものでもない、些細なできごと、ちょっとした驚き程度のものだ。



先月からベビースイミングに通っている。
プールの更衣室には0歳から3歳までのこどもたちが芋の子を洗うように入り乱れている。
このごろつかまり立ちと伝い歩きができるようになって、動きたくてたまらないミツは、そばにいた3歳くらいの男の子の身体にすがりついて立とうとし、そのまま突き飛ばされたのだ。
ミツは、私が初めて見る顔をしていた。
泣きもせず怒りもせず、地面にぺたんとしりもちをついたまま、(これがなんなのか判らない)という顔をしていた。

彼はその時生まれて初めて他人の明白な「拒否」というものに触れたのだ、と私は思う。
生まれてからずっと親や祖父母らの親類に囲まれて舐めるように可愛がられてきたのだし、どこに行っても赤ん坊は大人たちの笑顔にくるまれる。
力加減を知らないとはいえ、ミツが髪の毛を引っぱったり顔や腕を叩いたりしても、私を含めて大概の人は笑って許してくれたのだ。

その男の子は明らかに不愉快そうだった。
当然だ。
見知らぬガキに突然取りすがられて気分のいいはずがない。


きつい表情でミツをにらんだ男の子と、惚けたように座り込んだままのミツの間にいて、私はなんにもしなかった。
男の子に注意もしなかったし、ミツに駆け寄って抱き上げたりもしなかった。
ただ見ていた。

それはよくなかったのだろうか。わからない。

でもたぶんこういうこと、理由も判らない誰かの不愉快や悪意に衝突してしまうようなことって、これからとてもとてもたくさんミツの元にやってくると思うよ。その度ごとに私が手を差し伸べたり抱き上げたりしてあげることは残念ながらできないんだよね。
ミツはびっくりしただろう。もしかしたらちょっと怖かったかもしれない。
でもだいじょうぶ。怖がることなんてぜんぜんないよ。
もし相手の不機嫌がミツのやったことのせいだったら、「ごめんなさい」って謝る。
ここで大切なのは「自分がやったことが相手を不機嫌にしてしまった」という、行為のもたらす結果の道筋をたどれるかどうかだ。
むずかしいな。
「僕がやったことできみが怒っちゃったかもしれない」って想像できるかどうか。これでどう?

そしてもし、相手の不機嫌がミツのせいじゃなかったら。
そのときはしりもちをついたお尻を手でぱんぱんって払って、相手に向かってにっこり笑って「今日はきもちのいい日ですね」って言うんだ。そして好きな歌でも口ずさみながらその場を立ち去るといい。
これはすごく難しいね。
ついミツもカッとなって、相手の胸をどんって突いて同じようにしりもちつかせてやりたい!と思うかもしれない。
でもよく考えてみよう。
相手の不機嫌には理由がないんだ。
「なんだかよく判らない、けど気分が悪い」相手に、「きみは不愉快だ」という明確な理由を持って不機嫌を突きつけるのは、なんていうか、スマートじゃないな。
もともと存在しない不機嫌なんだから、それはミツに渡された時点でふわりと宙に帰してあげるのがいいと思う。
だからね、こういうときに好きな音楽や好きな歌や好きな言葉って、ちょっと役に立つとわたしは思うんだけどな。

5.10


takagengenさんのついったー*1読んで、「愛の純粋贈与」についてぼんやり考えたりしていた。

私がミツの世話をしているこの一連の時間的行為は、果たして氏がキリスト教の幼児洗礼について言う「愛の純粋贈与」と同じものなのだろうかと。

なぜ、キリストは十字架に上ったのか。「自分とは無関係で、会ったことも見たこともない、未来の人々も含めた、全人類のために、勝手に」です。その結果、キリストは殺される。バカでしょう。そんなことをやる人は。「等価交換」=「商品経済」の論理で生きている人間はそう考える。

神の国? なんか下心、あるんじゃないの」と考える。「そうでなきゃ、あんなことしないだろう」と。現世を生きる者は誰だって。ところが、キリストは頼まれたわけでもないのに、無関係な人のために死ぬわけです。「愛の純粋贈与」です。


育児というのは、この「愛の純粋贈与」ではないように私には思われる。
何も「育児とは自身の未来に対する投資だ。従ってそれは等価交換の論理に基づくものだ」などというつもりはないけど。

たぶん、愛の純粋贈与というのは「自分とは無関係な」他者に向かって為されるものだということが子供を育てることと一線を画しているのかもしれない。
でもこどもって、自分に最も密着した他者であるだろうし、それは私が最近身を以て感じていることでもある。
「最も近い他者」であるからこそ、血縁というのはさまざまなねじれやわだかまりを生むものであることもうっすら知っている。
血縁に対する愛は純粋贈与と呼ばれるに値するのかどうか。


よくわかんない。
でもたぶんしない。


私がこの数ヶ月で感じ取ったのは、赤ん坊を育てるというのは義務以外の何ものでもない、ということだ。
だがこの「義務」というのは不思議なことに内発的に生じたものなのだ。
私はこれまでこのような形で義務というものを感受したことがないと思う。
義務は常に外部から強制されるものだった。
だから「〜しなければならない」というのは必ず苦痛だったし、それは後に何らかの形で評価を受けねばならないことの苦痛と緊張でもあると思う。
育児に関する義務は、「私がやらなければならない、それ以外にない(さもなければ人がひとり死ぬ)」というものだった。
これはもちろん極度の緊張を伴ってはいたが、決して外部からの強制ではなかった。
内発的義務というのは私にのみ課されたひとつの仕事のようなもので、それはまるで私の固有性を担保すべく誰かから「選ばれた」もののように感じられていたのだった。


誰から?

もちろん、ミツから。


例えそれが迷妄に近い思い込みにすぎないものだとしても、わたしにとってそれは歓びに近いものだったような気がする。
それにやはり、「純粋贈与」と言ってしまうにはあまりにも相互の関係性が濃厚だから、やはりこれは「愛の相互交換」くらいにしか言えないみたいだ。



そして気が付いたのは、育児という義務がこのような歓びを伴うのは、明らかにすべき「結果」というのがしごく曖昧で先送りにされているため、つまり「成長が完成」するという地点がいったいいつなのか、どうなれば「完成」なのかが誰にも判らないためだということだ。
始まりの瞬間だけは確かにあって、けれどもいつ終わるともしれないこの「生」というものは「物語」ではないと私は思う。
「生」とは「物語」にしてしまうにはあまりに過剰であまりに暴力的で即物的すぎるものだ。
逆に言えば「物語」になってしまう「生」がいかに多くのものを切り捨てなければならないかということだけど。
むしろそれは詩に近いのではないか。詩的、ではなく、詩そのものに。

嘘かもしれない。


今はまだしがみついてくるミツの手は、いつか自然に彼の方から離れて行くだろう。その季節がくるのを私は注視と放心の狭間で待ち続けるだろう。

5.3


なしくずしの死〈上〉 (河出文庫)

なしくずしの死〈上〉 (河出文庫)


がらくたはこわれやすい。ぼくは故意にじゃなく山ほどの商品を駄目にした。骨董品は今でも胸くそが悪い。だがそれでぼくたちは喰ってたんだ。陰気なもんだ時代の残滓ってのは……しけ臭い、見苦しい。好もうと好むまいと、ぼくたちはそれを売っていた。かもに嘘八百を浴びせかけて……大変な掘り出し物ですよ……慈悲もへったくれもあったもんじゃない……なんでもかんでも言いくるめちまう……相手の良識を封じちまうんだ……相手はルイ十三世様式の茶碗をポケットに、柔らかい紙に包んだ羊飼娘と猫の透かし織りの扇子を手に、ぼーっとなって出て行く。こんながらくたをうちへ持って帰る大の大人どもがぼくにはどんなにうとましかったことか……

自戒を込めつつも、いわゆる「骨董好き」の「目利き」諸子にたいしてF**K YOU.


たぶんきっと、夢中になって我を忘れたこどもみたいな大人というのは、(ほんとの)子供にとって「うとましい」んだろうね。

4.30

ねえ、ミツ、今日はいい天気だったねえ。

ぽやぽやあったかくて、なんだか光がけむたいみたいで、眼がしょぼしょぼしちゃって、

こういうのが春っていうんだとおもうよ。

ねむいねえ。ねむいよ。

おとうさんはもう起きてるかなあ。

ミツが最近夜泣きをするから、おとうさん眠くって眠くってかあいそうね。

うちに帰ったら起きてるかなあ。どうだろう。

ミツとかーさんばっかりで散歩してるからさ、おとうさんきっとつまんないよ。たぶん。

ねえもう起きてるかなあ。


賭けようか。

かーさんはねえ、まだ寝てると思うな。

ぐうぐう寝てるよきっと。

ミツは起きてると思う? もうお仕事行っちゃったと思う?

賭けようか。

そうだなあ、かーさんはじゃあ、あの八重桜をいっこ賭けるよ。

風でころころ転がってる花房じゃなくて、あのピンク色のゆらゆら揺れてる大きな八重桜の木いっこ。ぜんぶ。

ミツはなににする?

あれにする?あのひこうき雲がいいねえ。じゃあミツはひこうき雲いっこ賭けるね。

どっちが勝つかなあ。

おとうさん起きてるかなあ。

寝てるといいなあ。

4.20

ミツを連れて実家に帰ってきた。



私の生地は関西とはいえ山陰の奥深くで、文化圏としてはむしろ中国地方に近い。
山陰というのは本当に陰鬱な光の土地で、いくら晴天の陽射しが降り注いでいてもそこにわずかな濁りが常に含まれているような気がする。
そんな地方の山村は元来過疎地ではあったのだがここ10年ほどで急速に過疎と高齢化が進み、今ではほとんどゴーストタウンのようになっている。
国道沿いに連綿と連なる量販店・ガソリンスタンド・パチンコ・ラブホの並びのなかにほとんど人影は見当たらず、まるで人間が死滅してしまった後の世界を観光に来ているような気分でミツを抱いて後部座席に座っていた。
陰鬱だ。
国道20号線』という素晴らしい映画があるのだが、そこで描かれていた地方都市の「行き場の無い野蛮」と「綻びたロマンティシズムの暴力」は正に「現在」だったが、この山間の僻地ではそのような暴力性さえも蒸発してしまい、むしろここは「未来」ではないかと思われた。



私は昔から何かと実家とは折り合いが悪く、今回のような4泊5日にもなる滞在はほとんど15年ぶりになるだろう。
この帰省の理由は、伯父の末期ガンが判明したせいだった。
死の響きがうっすらと聴こえている彼と顔をあわせるのは考えただけで消耗する作業だが、それは「やるべきこと」なのだと私は信じることにした。
どんなに嘘寒くても。


季節が逆流してしまったような寒さのせいで、実家の近くは今ごろになってソメイヨシノが満開だった。
こんな寒さのことを「小鳥殺し」というのだと教えてくれたのは祖母だった。
ミツを連れて外に出ると、柔らかい春の光が細かな粉みたいに辺りに散っていて目も開けられないくらいで。
ふわふわと漂う光の粒子を掴もうとして、ミツの細い指は何度も空を切った。
春の山は若竹色や山桜色や淡い小枝色の精妙なパッチワークになっている。
踏みしめた足下からは柔らかいヨモギの新芽の涼しい匂いがした。


こんなものすべて、おまえはわすれてしまうだろう。
わすれてしまえばいい。
そうして、もしいつか、似たような風景に出会ったとき、
何度も何度でも新しく驚きなおしてくれればいい。
ミツがちいさいくしゃみをひとつした。
そろそろ家に帰ろう。